2010年1月26日火曜日

エクソサイズ

京都に来て25年になりますが、ほんのちょっと京都が見えてきたような気がします。といって、もちろん、普通の話ではなく、牧師の話ですが。15年くらい前、合気道の先生と霊について話し合ったことがあります。その先生は、初心者が滝に打たれて修行するのは、もってのほかで、あぶない、と言うのです。山の中には、動物の霊がたくさんいて、滝に打たれて頭が空っぽになっているときに、とりつかれておかしくなる人が出るのだそうです。聖書には、霊に憑かれている人を、キリストが救い出す場面がたくさんあります。まさか、日本で、この京都であるとは思ってもいませんでしたが、そういう話は多いですね。私も霊払いをさせられたことがあります。外人が来て、自分をエクソサイズしてほしいというのです。何のことかわからなかったのですが、辞書をもっていくと、なんと、エクソシスト・・
霊を追い出せというのです。丸二日間、一睡もできず、体の中に、霊が自分の知らないことをかってに話しているのだというのです。週に一日断食して、祈りをしていますので、もし霊がついているならできるかもしれないと思って、祈りました。日曜日の礼拝に来られたので、どうですか?と尋ねると、完全に平安が戻った。毎日安眠できているというので、ほっとしました。我らの神、主イエス・キリストに栄光あれ!

2010年1月8日金曜日

日本一うまい?たこ焼き


去年、インドネシアに行っていた宣教師夫婦が教会に来て、いろいろな話をしてくれましたが、その中に、亀岡にあるたこ焼きがいちばんおいしかった。神戸や大阪でもたこ焼きはとうぜん食べたけれども、夜中に出歩いて出会った、9号線沿いのたこ焼きが一番おいしかったと言っていました。興味のある方は、行ってみたらいかがですか?知り合いもそれを聞いて食べに行ったら、なるほど、うまいそうです。私自身はタコ焼きに命をささげていないので、日本一かどうかは私には保証できません。場所は、国道9号線を、京都市の桂方面から老いの坂を越えて、市街地の一番はずれのあたりの右側です。中古の重機の売り場の隣で、向かい側には近くにセブンイレブンがあります。

2010年1月4日月曜日

オー カルト!2012年2月

わたしはカルト牧師である!
最近つくづく思うことは、日本でキリスト教の奥義、特に終末論を語ると、カルトーと言われる事です・・・・・・
でも、終末論は、キリスト教信仰の奥義です。
そこで、ある時は正常なキリスト教徒から白い目で見られ、ある時は政府から危険牧師として睨まれることを覚悟して、キリスト教終末論を発表することにします。
ちなみに、カルトをウィキペディアでしらべると、以下の通りです。本来は、正当な宗教用語なのに、世間を不安にさせる罪深いニセキリスト教が思いつきの終末論を連発して不発に終わり、そういう宗教集団がカルトと呼ばれるようになったわけです。

カルト(Cult)は、「崇拝」、「礼拝」を意味するラテン語Cultusから派生した言葉で、元来は「儀式・祭祀」などの宗教的活動を意味しており否定的・批判的なニュアンスは無かった。しかし現在では、反社会的な宗教団体を指す世俗的な異常めいたイメージがほぼ定着している。ただし、反社会的な問題のない団体に独自の主観によりカルトのレッテルを貼る等の混乱が見られたり、派生的な用法が多岐にわたって使用され始めており、境界線があいまいな言葉である。


アメリカの正統派カルト牧師たち
ところで、正統派キリスト教カルトは、何を信じているのでしょう?
まず、われわれ 正統派カルト牧師は、神様の存在を信じています。
当たり前だろ・・・
残念ながら、そうでもありません。
評論家の立花隆氏が調べたところ、キリスト教の牧師でも、アメリカ最大の教会数を誇るメソジスト教会は、4万の教会の牧師の中で、「あなたは神の存在を信じますか」と聞かれた時に、「信じる」と答えた人は、46%だと言っています。


しかし、私の属する正統派カルト牧師のバプティストは、全米3万5千の教会の牧師の99%以上が、「神の存在を信じる」「イエスを神の子と信じる」と告白しております。
著書「人生を導く5つの目的」が3年間で3000万部以上が人々に読まれ、3年前に、オバマ・アメリカ大統領の大統領就任式の開会祈祷を行った、リック・ウォーレン牧師も当然のことながら、神の存在を信じ、正統派バプテストとして、終末論も信じています。


2007年まで、トーマスロードバプテスト教会の牧師を勤め、ロナルド・レーガン大統領や、ブッシュ大統領にも影響を与えたジェリーファルウェル牧師も同じように正統派カルト牧師です。(詳しくはウィキペディア参照してください)

続く









キリスト教の救い

キリスト教の救いは、この世の色々な救いの中でも、もっとも重要な救いですが、もっとも単純な方法で救われます。私の場合は、当時神学生だった、東京の教会の牧師に、私の言うとおりに言ってください、といわれて、その通りに実行しました。「天の神様、・・天の神様」「私は罪びとです・・私は罪びとです」「イエス様が、私の罪のために、みがわりとなって、十字架で死んでくださったことを信じます。・・イエス様が、私の罪のために、みがわりとなって、十字架で死んでくださったことを信じます。」「イエス様が死んでから三日目に復活したことを信じます。・・イエス様が死んでから三日目に復活したことを信じます。」「わたしはいま、自分の心の戸を開きます。・・わたしはいま、自分の心の戸を開きます。」「私を救って、私の心の中にお入りください。・・私を救って、私の心の中にお入りください。」このような祈りで、クリスチャンになったのですが、あまりに単純すぎて、本当に救われたのか、何から救われたのか、わからないほどでした。けれども、一年くらい、いろいろ考えながら過ぎてみると、確かに自分は救われているのがわかりました。その喜びで、一日三箱すっていた煙草が必要なくなり、中毒になっていた、パチンコも、マージャンも自然にやめていました。皆さんも、祈って救われませんか?近くの教会に行って、牧師先生にみちびいて頂くと、いっそうわかりやすく、確信を持つことができますよ。